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| なぜ、今捜査情報の開示が必要か? KSR講演 | 平成15年9月16日 |
前置 私は縁があり、被害者側で相談に応じてきました。時間の大半を遺族の相談や事件処理で過ごし、遺族が真剣に悩みながら警察や司法が問題にしていないシステムが存在すると気づくようになりました。交通処理過程における被害者排除システムです。その中に捜査情報開示問題があります。2年前加害者天国ニッポンで、遺族の置かれた不条理な世界を説明しました。捜査情報が開示されないことほど不条理で遺族や家族を苦しめる事はありません。被害者を排除し、事故を軽く扱うシステムは情報が開示されないことによって、ますます遺族を苦しめているといってもいい。交通事故被害者に2次被害を生んでいる根本原因です。 今、交通事故は非常に軽く扱われ、警察は極めて事務的で、既に犯罪扱いしなくなってます。交通事故は形式上は犯罪でも、事故が発生し始まる捜査は犯罪の捜査ではありません。何故か、交通事故の処罰制度と密接に関連してますので説明しますと、人身事故は年間90万件発生し、処罰面は、たとえば加害者が千人いて、900人が不起訴で実質無罪、90人が略式命令の罰金、10人が正式裁判で9人が執行猶予となり、1人が実刑となる。日本の交通事犯の処罰実態です。ここ15年の検察の起訴率低下は昭和61年の73%が今や11%と下降カーブで、あまりにひどい。検察庁は仕事をしたくないというデータで(年金資源を食いつぶす厚生官僚などごくつぶし官僚とすれば、)交通検察は手抜き役所といえます。検察が処罰で軽く扱うから、当然警察の士気もなくなりますし、加害者の処罰も軽くなります。背景に検察や法務省の交通事故を犯罪でないとする交通事故非犯罪があります。交通事故がなぜ軽く扱われるか、は北海道で話しましたが、国が犯罪扱いしてないことにつきます。この政策のため、加害者の供述に沿う捜査体制が日常化しています。加害者を大事に扱い、逮捕しない、供述通りとなることを意味します。交通死亡事故や重度後遺症事案は、死人にくちなしとする加害者寄りの捜査が横行し、孤独で必死な思いの毎日で、戦いをされている遺族や家族が多くなっています。自分で事故にこだわり、警察に突っかかり、弁護士を罵倒し、検事に不信感をもち、いろんな努力をされた方もおありと思います。5年前、柳原みかさんのアメリカの捜査情報開示の記事を読んでショックを受けました。『被疑者や目撃者の供述が事故レポートとして事故から2〜3週間で事故関係者に開示される』と。 本題1 なぜ捜査情報が捜査段階で開示されないか? 刑事訴訟法47条『訴訟に関する書類は、公判開廷前には、公にしてはならない』が根拠とされてます。 ところが被害者側に情報が何も伝わらない。交渉でみると不平等なのに、国がこれを放置している。司法はどうか。交通事故実務は、損保弁護士が被害者で担当しており、問題はほとんど議論されておりません。日弁連交通事故委員会、東京地裁27部を中心の学会議論でも、何が議論されているかというと、損害のマニュアル作り。実際に被害者は情報入手が何よりも欲しいのに、マニュアル作りです。司法で捜査情報開示の問題は不起訴事件について一部語られることはあっても、捜査情報開示が根本的に議論されていません。遺族や家族こそ交通事故問題のプロです。捜査情報開示立法を求めるのは、刑事訴訟法47条を根拠に開示しない司法慣行は不当で、硬直した司法への強烈メッセージです。 本題2 なぜ捜査情報開示が遺族に必要か 遺族の知る権利の確保のためです。憲法21条が根拠です。遺族は事故の瞬間から事故の原因を知りたい。独自に調査をする。被害者が死亡しているので調査をします。ところが警察に聞いても何も教えてくれない。目撃者が誰かさえ言わない。口を封じることさえ平気でやる。教えたらだめといわれる。 捜査情報を開示して弊害あるのか 交通事故は故意犯のように証拠隠滅等の可能性はありません。公道で発生した事故です。加害者や目撃者のプライバシー侵害も切実な被害者の知る権利侵害の大きさに比較すれば小さい。捜査情報を被害者に開示しない理由は通用しません。遺族が交通事故を隠蔽したりはするはずもない。検察の開示実務でも正式裁判されない略式裁判による罰金では、処分後に捜査書類は開示され、不起訴事件でも処分後に実況見分は開示してます。検事が検討し終えたから開示してもいいとのことでしょうが、実質的には被害者の権利侵害の問題です。検察法務は無頓着です。自分達が検討したから開示すると言う態度です。しかし処分後でさえ、永久に最後まで開示しないのもあります。例えば悪質事故の刑事裁判終了後も、調書の目撃者の住所や氏名が開示されません。被害者が謄写をしても付箋で隠されます。私は奈良地検でこれをされたため『どうして遺族が証人尋問する権利を奪うのか』と検察の記録部にくってかかったことがあります。目撃者の氏名住所を最後まで隠すのは何を意味するかを考えると、被害者が独自に目撃者に会って確かめたら駄目と、検察や法務省はしているのです。『警察の目撃者聴き取りは絶対に正しく、官憲の捜査に絶対間違いはない。市民が調べたりする事はけしからん』との国の姿勢が見えます。今だに通用する悪しき捜査文化があるのは不幸です。過失犯の場合、捜査情報を隠すメリットはなく、開示しないというのであれば何か。そこに捜査絶対とする価値観体質が出ております。捜査は正しく不正な捜査はありえないとするおごりで、捜査官憲に文句は言わせないとする押付けです。だから開示しません。開示すれば警察官の誘導ばかりの調書が出てくるからまずい。不祥事となる。最近は警察官の個人的体質を疑う不祥事が多発しています。こういう人がチームの中にいるわけですから、不当な捜査がなされていないわけがありません。捜査をする警察が正しいとの姿勢がプンプン臭います。情報開示をしない理由も、この点を見れば何故かわかります。 しかし、警察の悪しき文化と交通事故を軽く扱う体質とが合わされば、どういうことが起こるか。私が担当している事件で現在継続中の事件でいいます。 1)平気で実況見分に嘘がねつ造されます。虚偽記載が通じる。岸和田の事故で、小学1年の子供さんが歩道から落ちて、トラックに轢かれた事故の図面では、1人しか通行できない幅なのに、児童が3人横一列に並んで走行していたと記載ありました。明らかに客観的事実と異なるのに平気で記載している実況見分調書です。 2)姫路では、【被害者の信号は黄色】と被疑者の実況見分に記載されたがために、民事で熾烈な過失相殺の争いとなりました。加害者が民事法廷で正直にいうには【警察官が黄色だったはずだといわれたので、黄色とされた】と先日法廷証言したため、判決も被害者側信号は、【被害者の対面信号は黄色ではない】と認定しました。言渡しが先日あった事件です。 警察のずさんを示す事件でした。 検察はもっとひどい。遺族が最近捜査記録を点検できるようになったため、判明した捜査の不祥事となります。 1)今年6月に奈良で副検事交替を申し立てた事件があります。警察調書では、加害者が『右折の時徐行した』とありました。ところが、副検事が『右折の時1時停止した』と実況見分を変更していました。副検事によるねつ造としたのが検事交替の理由です。 新聞は『死に損や』と検事に暴言を言われたとありましたが、高等検察庁の検事交替のコメントは『捜査に公正を抱かせる行為があった』とありましたので、違法な捜査と認めたものと思います。 ちなみに、検事交替事件を私は4件ほどしておりますが最近はひどい。公判事件で加害者をさん付けで呼び、加害者をかわいそうだと言う検事さえいる。交通検察の現場です。捜査記録を開示しない弊害です。交通事故を極端に軽く扱うのが国の姿勢で、捜査情報が被害者に流れないことで、あぐらをかいてずさんな仕事が横行してるのが捜査官僚の事故捜査の現実です。私は事故態様にこだわりをもつので、加害者が嘘をいい、警察がこれを庇うという疑いを持って、相談に応じることで出てくる回答が捜査のずさんさです。逮捕もされず、従来同じ生活をしている加害者が本当のことをいうわけがありません。処罰を免れる為、いろんなことをしているはずです。それは見えません。捜査を疑うとの目で記録を洗わなければならないのです。しかし遺族は素人ですからそんな事は出来ない。司法も一旦出来た記録は正義として通用してしまう。捜査情報が開示されないために事故の捜査の虚構の世界が通用しているのです。 交通事故は犯罪の面で故意的犯罪でないので動機の裏付けを取り、関係者から話を聞く根回しは必要ありません。公道で発生した一瞬の出来事です。犯罪が成立するかという要素より事実がどうかという要素です。法務省は交通事故は犯罪でないと宣言し、検察の不起訴主義を容認し、ますます交通事故の捜査は犯罪として追求する姿勢はありません。捜査現場は事実がどうか、と過失割合の調査を呈してます。どうして捜査情報を隠す理由があるのでしょう。 警察の不祥事が問題となったのは、数年前です。神奈川県警ありました。今警察官の犯罪かと思うくらいで特有の事件ではなくなってきました。しかし個人的な犯罪や飲酒運転は取り上げられますが、不当な捜査がなされていることの報道が少なすぎると、思われませんか? 警察官に、個人的犯罪が多発しながら、これら警官が担当した捜査がどうかは報道されていない。開示されないからです。 |
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